Episode 3 《審判の時》

#3《審判の時》–Season 1: Seeds–

一か月半に及ぶ収監生活の終わり。

家庭裁判所での審判の日、僕は自分の人生が天秤にかけられる音を聴いていた。

審判室は、鑑別所の独房とはまた違う、乾燥した静寂に包まれていた。

正面には、表情を一切読み取らせない法服姿の審判官。その左右には、僕を「社会のバグ」として処理しようとする大人たちが並んでいる。

彼らの目は、僕という血の通った少年を見ているのではない。改正されたばかりの少年法という「新しい物差し」を手に、僕を「少年院」という廃棄場に捨てるべきか、それとも「保護観察」という執行猶予を与えるべきか、冷徹に仕分けようとしていた。


判決が下される直前、異様な沈黙が部屋を支配した。壁の時計が刻むチクタクという音が、重い心臓の鼓動を急かすように大きく響く。

その時だ。

一滴の汗が、脇の下をゆっくりと伝い落ちる感覚を覚えた。

重力に従って、皮膚を這うように、じわりと、けれど確かに。

外の世界では一瞬で終わるはずのその移動が、今の僕には永遠とも思える数分間に感じられた。
そのあまりに鮮明な感覚の中で、僕は悟った。

今、この一滴の汗が下に落ちるまでのわずかな空白の中に、僕の全人生が閉じ込められている。自由か、再収容か。大人たちの一振りで僕の運命が決まる。

「……本件については、保護観察処分とし両親に引き渡す。二度とここへ戻ってくるな」

審判官の放った言葉は、救いというよりは、冷たい通告だった。その瞬間、極限まで張り詰めていた糸が、音を立てて切れた。

裁判所の重い廊下に出ると、そこには父と母が立っていた。

一か月半ぶりに見る両親の姿は、僕が記憶していたよりもずっと小さく、そして絶望的に疲弊して見えた。

僕を救うために、彼らがどれだけの頭を下げ、どれだけの「世間」に削られてきたのか。

何も言わずに僕を迎え入れた二人の丸まった背中を見ながら、僕は自分のしでかしたことの重さを、初めて物理的な痛みとして背中に感じた。

裁判所の重い玄関を出て、街の空気を吸った瞬間に異変が起きた。

「……何だ、これ。うるさすぎる」

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走る車のタイヤがアスファルトを噛み砕く音。
信号待ちをしている人々の瞬き。
コンビニの看板が放つ、毒々しいほどに人工的な光。街路樹の葉が風にこすれる音。

そのすべてが、異様にスローに、そして暴力的なまでの「高解像度」で脳内に流れ込んできた。

一か月半もの間、情報の遮断された「静」の世界。色のない壁と、私語を禁じられた静寂にいた僕の脳にとって、外の世界の「動」はあまりにも情報量が多すぎた。

一歩踏み出すたびに、自分が時間の裂け目に落ち込んだような、平衡感覚を失う目まいに襲われた。

(……時間が、スローに感じる)

その感覚に襲われた瞬間、脳裏にあの「囁き」がフラッシュバックした。鑑別所の4人部屋、看守の足音が遠ざかる死角で、喉の奥から絞り出すように伝えられた禁断の噂。

「……外に出たら、『緑』を吸え。時間が止まるぞ。音楽は色になり、飯は爆発する」

鉄格子の中で、餓えた狼のように語り合っていた少年たちの歪んだ顔が、今の僕の視界と重なった。

学校に戻ると、噂は冬の風よりも早く、そして湿っぽく広まっていた。

「Bull、お前……マジで完黙(完全黙秘)したんだってな」

遠巻きに見ていた仲間たちが、畏怖と好奇の混じった視線で近づいてくる。14歳の子供にとって、僕は「国家権力という巨大なシステムに屈しなかったヒーロー」だった。

同級生たちは僕を腫れ物に触れるように扱うか、あるいは境界線を越えて「向こう側」から帰還した異物を見るような、薄気味悪い尊敬を向けてきた。

だが、僕は彼らの熱狂に、氷のような冷めた感情を抱いていた。

「ヒーロー? 違う。僕はただ、システムの穴を見つけたいだけだ」

「二度と、あんな場所には戻らない」

その決意は、大人たちが期待する「更生」への誓いではなかった。

それは、**「絶対に証拠を残さない、完璧な隠蔽」**への誓いだった。

もし私がこの時、泣いて反省するだけの「良い子」に戻っていたら、現在の5億という資産を築く冷徹さは育たなかっただろう。

リスクをゼロにすることは不可能だ。しかし、リスクを管理し、システムの裏側を歩くことはできる。

私はその真理を、14歳の冷たい廊下で、一滴の汗とともに学んだのだ。

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放課後、吸い寄せられるようにあの公園へと向かった。しかし、かつてのスケボーの熱狂すら、今の僕には空虚な子供騙しに見えた。

コンクリートを叩くデッキの音を聞きながら、僕の意識は再び、塀の中で聞いたあの「煙」の話へと引きずり込まれていく。

「……あいつを吸えば、すべての感覚がぶち抜かれるんだよ」

あの時、囁いていた少年の瞳は、確かに「ここではないどこか」を見ていた。

情報の遮断された極限状態で聞いたその話は、今の僕にとって、もはやただの噂ではなかった。

それは、この不快なほどにうるさい現実を、自分だけのものに書き換えるための唯一のコード(暗号)のように思えた。

公園の喧騒が遠ざかっていく。僕は自分のポケットに手を入れた。そこにはまだ、冷たい空気しかない。

けれど、僕の脳内ではすでに、あの一粒の不穏な「種」が芽を出し、得体の知れない欲望となって、僕の神経系に根を張り始めていた。

もっと、この「時間の歪み」を自分の意志でコントロールしたい。

もっと、深い場所へ。

もっと、圧倒的な解像度の世界へ。


それは、14歳の冬が終わろうとしていた頃。
僕が自らの意思で、表社会の階段を降り、地下に眠る「怪物」への扉を叩き始めた瞬間だった。

つづく…

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